誰が嘘をついているのか?―判断の拠り所となるもの

 

こんにちは。中田麻奈美です。

松本地域は風が強い日々が続いていますが、
霞が関も別な意味で荒れていますね…

毎日毎日、このどさくさに紛れて便乗告白しちゃえ!と言わんばかりに、
次々と「ない」と言い切ったはずの日報が出てくるわ、
「首相案件」と明記された備忘録は出てくるわ、
「記憶にある限り、お会いしていません。」なんて
かつての「記憶にございません」の進化バージョンは飛び出すわ、
国会の劇場化も甚だしく、
いち国民としては「茶番もいい加減にしてくれ」と言いたくなります。

 

「Aさんが嘘をついているのか、Bさんがでたらめを書いたのか、2つに1つだ」

 

誰が嘘をついているのか。

何のための嘘なのか。

これも、信じている使命を取り違えたことによる悲劇です。

前にも書きましたが、
安倍政権死守が、実は国民のホンネの総意であるならば、
「国民のために」嘘をつきとおすことも、
一刻も早くうやむやにして騒動を終息させることも、
理にかなった行動ということになります。

しかし、一口に「国民」と言っても、
個々の利害や信念は異なるわけで、
本当の意味で「国民の総意」などというものは存在しないでしょう。

全体最適は必ずしも個々人の部分最適にはならない。

 

だからこそ、法規制で縛る必要があるし、
ある一定の枠組みの中での最適解を探ることになります。

Aさんにとっての枠組みと、Bさんの枠組みが違っていた。

誰に対して誠実であるべきか、
リスクを冒してでも守らなければならないことは何か、
実現したい未来、理想としている世界が、違っていた。

 

傍から見ていたら、滑稽にすら思えるけれど、
ホンネで信じている理念がズレていると、
大なり小なり、こういうことはまま起こります。

 

事実と異なる口裏合わせを断った近畿財務局

 

実は私も元国家公務員です。
残念ながらノンキャリアでしたので、
霞が関には一歩も足を踏み入れたこともありませんが^^;

文部科学省の下、国立大学でお世話になりました。

財務省理財局と、その出先機関である近畿財務局の関係は推して知るべしですが、
「トラック何千台も走った気がする」と言ってほしいという
口裏合わせの依頼を断ったという近畿財務局。

依頼した側とされた側、個々人の力関係は判りかねます。

しかしここに、最後の良心のカケラを見た気がしたのは
私だけではないでしょう。

もちろん、どちらが正しいかを決める立場にはありません。

私が言いたいのは、
このような微妙な状況に置かれたとき、
究極の選択を迫られたとき、
その判断の拠り所となるのが「理念」だということ。

 

 

理念で飯は食えないとか、
きれいごと言ってても始まらないとか、
色々なご意見があることは承知しています。

しかし、経営幹部であれ現場のパートさんであれ、
仕事というものは、日々意思決定の連続です。
それぞれの裁量の中で、無数の意思決定を繰り返しています。

 

そのとき、個々の判断基準がバラバラだったら…?
ちょっとゾッとしませんか?

 

自律型組織にこそ必要な「理念」のチカラ

 

「黙って言うとおりにしてればいいんだよ」という経営のやり方なら、
理念もビジョンも必要ないでしょう。
「勝手なことをするな、逐一指示を仰げ」という独裁方式も
否定するつもりはありません。
単に作業だけ教えていれば事足りるでしょう。

しかし、もし自律的に考え、行動する社員を育てたいとお考えなら、
基本的な価値観の共有は必須です。

あらゆる場面を事前に想定することは不可能。
だからこそ、突発的なイレギュラーなことが起こったとき、
われわれはどう判断し、どう動くべきなのか、
その拠り所となるものが必須になるのです。

 

「分かってくれるはず」ではダメなんです。

その理由は、またの機会に。

 

まとめ

 

・経営理念は、会社の個々人の判断の拠りどころ

・ホンネの信念がズレると、行動もズレる

・ゆえに、理念は、ホンネの信念レベルで共有することが必須

 

ナカミ創造研究所では、
経営理念の明文化や、全社共有のお手伝いもしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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