女性中小企業診断士、独立の理由~その3

 

独立開業していると「なんで?」と聞かれる唯一の士業が、
中小企業診断士ではないでしょうか。
税理士や弁護士に「なんで独立したんですか?」と聞くことはないと思います。
それでも、重鎮クラスの男性診断士は「なぜ?」という話にはならないと思いますが、
私のような主婦だと、みなさん根掘りん葉掘りんになってしまいます^^;

長野県で唯一独立開業している女性中小企業診断士なので、
少なくとも県内では仕方ないことと最近は開き直っていますが。

新卒新入社員への90日での引継ぎがきっかけで中小企業診断士の資格を取得し、
経営理念の浸透プロジェクトで人材育成や組織開発への目覚めがあり、
そこからなぜ独立へと話が飛ぶのか。

 

周囲の独立ラッシュや自営業が多いことの影響

 

今から考えれば、すべてタイミングがカチッとはまったとしか言えません。

私は受験生時代と、合格後と、2期連続で中小企業診断士2次試験の対策本を共著で執筆しました。

1期目は少なかったのですが、2期目の同期合格者は次々と独立していきました。

仲間のそんな挑戦する姿に触発されて、次第に「いつかは私も」というミーハーな気持ちが芽生え始めたのは確かです。

そして同じころ、子どもの保育園のママ友との飲み会がありました。
いつも送迎時に顔を合わせても、お互い忙しいのであいさつ程度の仲です。
初めてお互いの職業などについても話をして、
たまたまその時のメンバーは半数近くが自営業だと分かりました。
「みんな意外と個人事業主なんだ!」と衝撃を受け、独立意識が刺激されました。

 

自社での社外講師による研修も、「私だったらこうしたい」という学びになり、
人事部も教育体系もない中小企業こそ、
人財育成の仕組み化が必要だ
という思いが強くなっていきました。

商品開発の仕事よりも、社員教育や組織開発のほうが面白くなってきたのです。
しかし、当然いきなり独立開業しても仕事はないだろうと冷静に考えていました。

ふと、試験対策本プロジェクトリーダーの大先生が、
「年度末になると自治体で色々公募が出るから見てみるといいよ」と
ずっと前に教えてくださったことを思い出しました。

そこで長野県のことを調べると、中小企業振興センターの支援員の募集がいくつか出ていました。
中小企業診断士なら、一度はやってみたい「中小企業の支援」の仕事です。
悩みながらも応募してみると、なんと合格!

しかし、急に会社を辞めることはできません。

 

引き金を引いたのは娘の問題行動だった

採用は4月1日になるので、2月時点の合格では、それまでに会社を退職する手立てをするのはさすがに無理です。

どうしよう…と悩んでいる間も時間は過ぎ、
年度末の最後の授業参観の日がやってきました。
当時2年生の娘たちのクラスでは、親に向けた手紙を渡すというサプライズが用意されていました。

そんな日でさえ、仕事が終わらなかった私は授業参観に間に合わず、
手紙を後で受け取ることになったのです。

そこには、こう書かれていました。

ママへ 
ママはいつもてきとうにしかあそんでくれないけど、
あそんでくれてありがとう。
3年生になったらしっかりあそんでくだされ。
それから、もっと早くおむかえに来てほしいです。
でもむりしないでね。

 

思えば、ずっと手のかからない子でしたが、本音では寂しかったのでしょう。
保育園では、いつも真っ暗になるまでポツンと1人残っていました。
学童でも最後の数人の1人で、閉所時間を過ぎることもしばしばでした。

特にそのことについて何も言わない子だったのですが、
本当はもっと早くおうちに帰りたかったんですね…

 

このあと、もっと大きな問題行動を起こしていたことも発覚します。
彼女自身の了解を得ていないので詳細は省きますが、
もうこれは、一度仕事を手放して向き合うしかないと腹をくくりました。

 

「渡りに船」がやってくる

 

時を同じくして長野県の中小企業診断士の集まりがあり、
「中小企業振興センターの話は、4月1日採用は無理だから断った」という話をしたところ、
「だったら『よろず支援拠点』をやってみないか?」と先輩診断士に誘われました。
ちょうど、中信地区で動ける人を探していると。

契約日数も10日前後なので、自宅を拠点に子どもの帰宅時間に家にいることも可能です。

よろずなら、4月1日でなくてもよいというので、
そこからはトントン拍子で面接に進み、先輩のご推薦もいただいたおかげで採用となりました。

こんなに早く独立のタイミングがやってくるとは思っておらず、
当初から計画していたわけでもありません。

やりたいことは決まっていたし、確固たる信念もありましたが、
ビジネスモデルができていたわけでもありません。

しかし、家族の事情とすべてのタイミングがカチッとはまって、
見えざる手に導かれるように独立を決めました。

こういうのを、「渡りに船」というのでしょうか。

 

もちろん、会社を辞めるにあたっては周囲を驚かせましたし、
お世話になった大好きな会社に多大な迷惑をかけることにもなりました。
大好きな優しいみんなと別の道に進むジレンマや、気持ちの整理で苦しい部分もありました。
当時はすべてを正直に話すこともできなかった。

いま、その会社も新しいメンバーが多数加わり、若い力を得て益々発展しています。
私は当時、経営理念浸透のトリガー人材だったことは間違いありませんが、
特定の「誰か」によらず人財育成が仕組み化できていて、後輩が育つ。
それが何よりうれしいし、これからも応援しています。

私も、思わぬ苦労や予定外の苦しみも味わいながら、
好きな仕事で誰かの「ありがとう」を直接聞けるようになりました。

会社にいなければ出会えない人もたくさんいたと思います。
一方で、辞めなければ出会えなかったたくさんの素晴らしい方々に出会い、
仲間に入れてもらい、刺激を受け続けています。

この温かさを活力に、地道に、ささやかでも、
地元のために貢献できるように頑張っていこうと思うのです。

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