ワクチンできるまで自粛して株式投資で生き残ればいいという矛盾

 

自粛か、経済再開か。

世の中は大きく、この2派に分かれています。

最初にハッキリさせておくと、私は経済再開派です。

こう言うと、「お前のような奴が医療崩壊させるんだ!」と怒る方もいます。
家族が医療従事者という方に、「医療現場を知らないくせに発言するな」と名指して非難されました。

言っておきますが、私の妹夫婦は医者です。
伯父二人は地方ではそれなりに大きな病院をそれぞれ開業し、
今は従兄たちがそれぞれ院長を務め、従兄勢7名が医者です。
介護職も2名います。

私の高校は地元ではそれなりの進学校だったので、
同級生の半分近くが医学部に進学し、医者になりました。

でも、私自身が医療従事者ではないので、「現場を知ってる」などおこがましくて言えません。
だから、「現場を知らないけれど」という断りを入れたうえで意見しましたが、
「知らない奴が意見を言うな、ムカつく」と反発されました。

「心にも金にも余裕がない可哀そうなやつ」とまで言われました。

 

実体経済なき「株でぼろ儲け」はあり得ない

 

その方は「ワクチンができるまで全員自粛!」とおっしゃってる方で、
どうやらご自身は株式投資などに興味があり、それなりに財を成しているのでしょう。

だから、「早く経済を回そう」という人に対して、「カネがないのはオマエの自己責任、ばーーーか」という態度をとっておられるようです。

ちなみに、ワクチンができるまであとどれくらいかかるか分かりませんが、
国民の隅々までワクチン接種が行き渡るまで数年かかると言われています。

念のために申し上げると、必要なワクチンは、日本国民1億2千万人分ではないです。
世界中に行き渡り、ほぼほぼ「普通死なない病気」にならなければ、
観光など人の往来をもとに戻すことは出来ないでしょう。

1~2年で出来る気がしないのは私だけでしょうか。

 

件の方が株式投資で儲けられるのも、実体経済あっての話です。
誰かが経済を回しているから株に値段がつくのです。
世界中の全員が「ワクチンができるまで自粛!」という彼の主張に従うならば、
株式などどいうものは一銭の価値もないただのゴミクズ同然です。

というより、全員が自粛していたらご自慢の病院も閉鎖され、
スーパーで食糧も買えないのですが。

自分だけは安全な場所で、医療従事者の家族の収入に支えられつつ株を転がしておきながら、
必死で経済を回す人々をこき下ろすなど言語道断。

 

緊急事態宣言解除から2週間。
北九州以外の地域で第2波という話は耳に入ってこない。

長野県を含む多くの県で、誰一人、発症していない。

北九の学校でクラスター?でもその子たちは無症状なのです。

「無症状だから怖い」のではなく、「無症状で良かったね」なのです。

そして、全員無症状だとしたら、ハケンの大前春子ばりに「それが何か?」という現象に過ぎない。

 

こう言うとまた、「オマエ自身が罹っても同じことが言えるのか」

「大事な家族が罹っても同じことが言えるのか」

「大事な人を亡くした遺族の気持ちを考えろ」云々…

といったウンザリするような非難轟轟を浴びることになります。

 

経済再開派が人の死に鈍感なわけではない

 

経済再開派とて、人がバンバン死んでもいいなどと思っていません。
ただ、人が死ぬという現象だけ見れば、それが交通事故だろうが癌だろうが、
同じ尊い命だということです。

新コロだけ特別扱いする気はありません。

私自身、明日死ぬかもしれないという覚悟はいつでもできています。
そのくらい気合入れて日々生きてます。

家族が新コロで亡くなっても、寿命を社会のせいにしたりしません。

もっともっと理不尽な、他人の私でさえ憤りをどうすることもできない死に方をされた方々は世の中にゴマンといます。

新コロだけ特別扱いする気はありません。

 

家族を亡くした遺族の気持ち?

40年生きてきた人間が、「身近な人を亡くした経験がない」と思ってる方がおかしい。

何人も何人も、家族親族友人を見送りました。

初めて人の死に接した、小1のときのじいちゃんの死。

中3のときのばあちゃんの死。

火葬場のにおいを今でもはっきり思い出します。

 

19で交通事故で逝った友。

ハタチで交通事故で逝った友。

癌を公表し、闘う姿を見せながら35で旅立った友。

2人の幼い子を遺して突然死した先輩。

「嘘でしょう!?」と崩れ落ちた、胸を切り裂くような痛み。

 

伯父叔母も多くが、やさしい思い出を残して彼岸の人に。

もはや結婚式に呼ばれるよりも、葬式のほうが多くなってきている。

 

私の父は、ピンコロのお手本のように急死しました。

「お父さんの容体が急変して危篤なんだけど」

「倒れた」でも「入院した」でもなく、
いきなり「危篤」という電話が入った。

倒れたその日に、遠く長野にいる私に入院の知らせをするほど深刻な状況でもないと思っていた矢先。

「心臓が破裂している」と。

長野を出発する前に、すでにそんな状況。

なんとか福岡まで飛んだところで、
「心臓マッサージを続けているけど、見込みはない」と自身が医師でもある妹から、
救命措置をやめる意思確認がありました。

心マをするたび、破裂した心臓から出血がひどいと。

到着した時には、そんな何もかもが終わり、全てが静謐の中に納まっていた。
これ以上ないくらい静かな姿で横たわっていました。

 

コロナで家族を亡くした人に対して冒涜する気などさらさらない。

ただ、突然のつらい別れを経験したのはコロナ死の人だけではない。

率直に申し上げて、コロナ以上に突然だったことは否定しない。

 

どっちが辛いとか、そんなレベルの低い話がしたいわけではない。

 

ただ、経済再開派が人の死や痛みに鈍感とか、
命よりカネを優先しているとか、
そんなくだらない浅はかな考えで意見しているのではないということを申し上げたいのです。
できる感染対策は、もちろんやればいいと思うのです。

安心と安全は違うから。

 

多様な意見がなければ共創は生まれない

 

あなたと私は育った環境も、現在置かれている状況も、何もかも違います。

だから全く異なる立場からの全く異なる意見が出るのは当たり前。

 

そういう思いが生まれる背景に何があるのか?
お互いに慮ることが必要なのではないでしょうか。

反対意見に対して単細胞的に人格否定して攻撃することは、
場の心理的安全性を壊します。

誰も何も言えなくなり、創造的発展は望めません。

 

「命のために」といえばすべての免罪符のよう。

だが、ただ呼吸するためだけに生きるのか?と私は問いたいのです。

ただ呼吸するためだけであっても、エッセンシャルワーカーの支えがなければ、
自力で食べ物を作ることもできないのに。

人は誰しも死にます。
いつ死ぬか、何で死ぬか、それまでどう生きるのか?

文化が死に、観光をはじめとする多くの産業が死に、
いずれ巡り巡って他の産業にも影響が及ぶでしょう。

今は好調なIT業界にさえも、確実に影響が出るでしょう。

過度な自粛で、1日でも長く息をするためだけに生きるのではなく、
人間らしく生きるために社会、文化、経済を。

過剰に怖がって傷つけあうのではなく、共創を。

そう願ってやみません。

 

 

 

 

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